奈良岡整体

告知と哲学を記します

ヒトはコトバでできている

言葉は概念を作り、概念は思考となり、思考は発言となり、発言は人となりとなる。

 

私は整体を通して、人間観察を繰り返すことで感じるのは、『発言は脳内をトレースしたもの』だと捉えています。目の前の事実に対し、どう言葉で表現するか?これは即ち日々どう生きているか?でもある。

 

そういう意味では【口】はその人の内部事情を露骨に表している。

 

外見をいくら美しく見繕っても、何を食べ、何を発言するのか?それを見ると内部事情は丸裸だと言っても過言ではないように思う。

 

しかし、文章はまた別の話だと僕は思う。かく言う私も、ブログとはいえ、文章はそれなりに吟味する。また、何日か、何年か、感受性に思考や考察の熟成を経た文章もある。その点、対話では隠しきれない今の内部事情が伺える。所謂アドリブである。だから、文章を書いているその人と、実際に会うと違うという事が起こるのです。そのズレが大きい場合、限りなく嘘に近い虚像ともいえます。(人は性質上、逆をやりたがる生き物で、綺麗事を言いたがる人ほど、実は汚いのである)

 

私たちの知覚とは、後出しの認知システムである。例えば、口に出してしまってから、その発言に気づく(認知)という事です。つまり、発言とはどう生きているかで自動的にでるものだといえる。勝手に口から出る以上、ふだん何を考えているかは隠せない。

 

そして厄介なのは、自分で発し続ける言葉という概念に自ら洗脳され続けること。脳はそういう機能があるんです。

 

だから、僕は対話を大切にしたい。それは飲みニケーションではダメなんです。人と人との丸裸な対話の中にこそ、気づきがあり、その気づきが成長となり、その成長が言葉を変え、最終的には人となりをバージョンアップする。これは脳コミュニケーションだと思う。日本人は対話が少ない。概念だけで物事を捉え、脳で対話しないなと思う。だからこそ、この対話形式のお話会やミーティングを僕はこれからもマイペースに企画していきたいなって思います。それって、自分のためにも、参加者のためにもなるWINーWINな関係です。対話しましょう!

 

 

名古屋「マインドフルネスおはなし会」(残席5)

life-healing.hatenablog.com

 

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猫からすれば、僕の言葉も、鳥のさえずりも対して変わらないでしょうね

 

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