奈良岡整体

告知と哲学を記します

概念というジャングル

概念とは、意味付けられたもので、言葉を使う上で必要なものです。もっと簡単にいうと言葉のためのカテゴライズで、言葉がなければ不要なものだとも考えられます。

 

例えば、脳という概念も、大脳、小脳、間脳、大脳辺縁系などと細分化されます。大脳は前頭葉頭頂葉、側頭葉、後頭葉とわけられます。前頭葉も、運動野や前頭前野などと細分化されます。もっというと、白質や灰白質、脳細胞、脳神経とどんどん概念は細分化されます。

 

しかし、逆をいえば、どこまでが脳なのか?という本質を知るのも大変微妙です。延髄から下は中枢神経と呼ばれるが、脳の延長線上です。そう考えると、皮膚も脳に直結しているわけですが、皮膚を脳という人はいません。概念的な脳を人体から切り離したら、心臓や肝臓で感情を生み出しても、出入力することができないので、感情が出力することができず、感情という概念も感じられず存在しません。

 

このような概念的なカテゴライズは物事を整理する一方ややこしくもします。例えば、宇宙と地球の境目はどこなのか?成層圏までが地球といえるのでしょうか?下北沢とはどこまでのことを指すのか?池ノ上はいいけど、新代田はダメなのか?概念とはカテゴライズする一方で、その境界線は人間が勝手に決めた、微妙で無意味なものだといえます。また、人によって境界線に誤差が生じるため、概念自体実ははっきりとしないものだといえます。そう考えると概念をなくしてしまえば、全てはひとつの存在だとも感じられます。現に、強大な太陽フレアGPSが狂ったり、太陽の熱で熱中症になったり・・・今あるひとつでも欠くことはできません。

 

では、どうして、僕は脳を中心に物事を見ているかというと、単に自分なりの【基準】を設定しているに過ぎません。脳は多くの要素の接点だと思えるからです。例えば、頭蓋骨を調整することで、頚椎は整い、椎骨全体が整います。硬膜を整えると仙骨まで整いますし筋膜にも間接的に繋がります。脳脊髄液は心臓と共鳴していますので、心臓の状態も読み取れるし、脳を細部まで観察することで、外界とのストレス反応や、内分泌の状態、情動の感受性などは、少なからず理解できる情報を含んでいます。僕個人の特性として、幅広く、広角的なものの見方より、ひとつのことをじっくり観察して、小さな変化も見逃さないという方が得意だというのもあります。

 

どんな情報を獲得しても、その情報をどう生かすのか?という方法を自分で確立していない場合、全ての情報は消費され、海馬の段階でゴミ箱へ消えてしまいます。あなたはどうやって物事を見ていますか?何に気を配り見ていますか?

 

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