奈良岡整体

告知と哲学を記します

デジタル化する人間

人の思考や心はそんなに分別があり、明晰ではありません。可塑性があるため、周辺の環境に順応しようと無意識に働いてしまいます。iPhoneの登場でよりデジタル化は加速しました。しかし、人間自体はアナログです。この事実は変えようがありません。アナログと聞くと古く劣っているという意味ではありません。アナログというのは連続性があるものです。そのため情報量が膨大です。

 

0から1へ進む時、アナログの場合、連続性があるので、数で表すと無限に細分化されます。0の次は0.0000000000001とかで、細分化でき、底が見えません。しかしデジタルだと、0の次が0.1と設定されていれば、0から1が11分割されているに過ぎません。サンプリングレートを上げれば、限りなく曲線を描けても虫眼鏡でみれば、厳密には曲線ではなく、カクカクしています。(昔のファミコンみたいな感じ)

 

つまり、デジタルは連続性ではなく、別々の数値化された情報の集合体なのです。

 

この弊害は、とてつもないものだとあまり気付いていない方が多いように思います。例えば病気になることや、ケガをすることなどもデジタル発想で捉えてしまうとハプニングに過ぎません。それは極端にいうと、生も死をもハプニングやイベントに過ぎなくなり、自分から排除してしまいます。自分とは別の何かと捉えてしまうことで、自分の事なのに、他人事に思えてしまいます。他人事と思っていた死が目の前突如くるから恐ろしく感じるんだと思います。

 

実際には私たち人間はアナログです。連続的なものです。生きている以上死は常にあり、その死や病も自分そのものです。それは他人事ではないのです。そう考えると生と死、身体や心も連続する線上で繋がっているに過ぎません。

 

また、デジタルといえば劣化せず、長期間保存できるデータです。しかしアナログは必ず劣化します。劣化という言葉あまり好みませんが、事実、身体は酷使するとダメージを蓄積します。アナログは何度も言いますが連続性があるからです。私たち人間はアナログであるため、一生若いままではいられません。若いままでいたいと思う考えそのものがデジタル洗脳されたものだといえます。

 

これは大切で重要な分別です。僕はデジタルに囲まれる一方でアナログ情報を大切にしています。アナログ情報とは経験です。体験はデジタルのような点に過ぎないのですが、経験は連続性が必要です。人間の健康を扱う僕たちは、この分別は大きな指針だと思っています。

 

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