奈良岡整体

告知と哲学を記します

オンラインセミナーへの第一歩

気でみる陰陽五行と十二経絡のセミナーを昨日、一昨日と開催致しました。私のセミナーの内容は教科書に書いてあることは殆どやりません。

 

例えば何月から何月は土用だから、湿度に気をつけて、身体を冷やさないようにしましょう!とか、肺の経絡は中脘穴から生じて中府穴から体表にでて…というような事は一切申し上げません。そういう先生沢山いるけどね。

 

だって、おもしろくないじゃん?学校の勉強が面白くないのと一緒!でも、学校の授業みたいな事を体験すると安心するんですよ。小中高校と、それが勉強だ!と習ったからです。でも、よく考えて下さい!これらの勉強は学校にいくための通過パスの勉強で、私たち社会人が勉強すべき事とはかけ離れています。

 

私達社会人が学ぶべき事は職業としての洞察力や先見性、コミュニケーション力、企画力、想像力など教科書には全く書いていない事が多いです。

 

なぜ教科書に書いてないのかというと、答えがないから。つまり人それぞれ。即ち何事も自分次第なのです。自分がどう感じたのか?がすごく大切な学びといえます。

 

今回から私自身もオンラインといえど、対面よりももっとよいセミナーにするためにはどうしたらいいのか?という試行錯誤がありました。

 

その答えは勉強ではなく、メンタリング(気付き)にフォーカスしチャレンジしてみました。

 

日々どう過ごしていて、その動作や行動に陰陽五行はどうかかわってくるか?そして経絡はどう変調するのか?を日々の暮らし、個々の個性をより繋げた内容で提供できるように努力しました。

 

しかし課題も浮き彫りになりました。大きな問題の一つはデジタルディバイド(デジタルの設備に対する地域格差)もひとつ大きな課題です。

 

ネット回線が高速ではなかったり、デバイスの解像度が低く、心地よいコミュニケーションができなかったりも課題のひとつです。

 

完全に一方通行の学びではデジタルディバイドはあまり関係しないけど、できるだけ対話してメンタリングしようとするとデジタルディバイドはかなり可視化されます。

 

この辺をどうクリアしていくのか?また思案していこうと思う。

 

オンラインセミナーは今後も来年から本格的に、多種多様なテーマでお伝えしていこうと思う。解剖生理学、実技、陰陽五行、経絡、コミュニケーションスキル、ゲストを招いたお話会など色々。楽しそうじゃない?

 

それ以前に私達のデジタルに対するリテラシー(理解)を深め、よりよいデジタルコミュニケーションができるようになるといいなと思う。少なくとも自分のデジタルに映る顔や声がカクカクしないように工夫したい笑

 

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【残5】【1/26・27】【静岡・藤枝】講座開催します

残り5名様案内可能

 

【ART of Touch】

今回のセミナーのタイトルです。

 

アート(感じる力)かサイエンス(知識や技術)か?これはセラピストの中でも気になるテーマです。多くの方の議論はどちらが重要か?どっちが正義か?となってしまいがちです。しかし結論からいうと、どちらも揃って一つです。

 

セラピストがいうサイエンスは、解剖生理学などのエビデンス(根拠)に基づき理論的に問題を解決していきます。これは治療の現場では安定的なシステムです。適切な説明責任を果たすためには欠くことができません。

 

一方アートとは、芸術という意味とはやや異なります。アートセンスは直感です。芸術性というのはどれだけオリジナリティがあるかです。しかしこれは誰にも理解されません。そもそもアートって誰もわからないですから、お客様としては「一体、なんだったんだろう?」となりかねません。やってる側もやられる側もフワッとしてるからみんな不安になっちゃうというオチ・・・

 

こうなると、断然サイエンス優勢だ!だってアートじゃ仕事として成立しないから。そうなると、サイエンス系男子はサイエンス!サイエンス!って叫ぶわけですよ!これはすっごいわかる!だって治療って結果出さないと話にならないですから!

 

でも、でもなんですよ!

知識は限界があるけど、感覚や直感に限界はありません。

 

例えば、ニュートンがリンゴが落ちたのをみて、これって地球の万有引力じゃ?っていう『気付き』や『閃き』はアートセンスなしには語れません。これってニュートンの頭の中で何が起きたのかというと、バリバリのサイエンス脳の彼が点のサイエンスを、アートで繋げて統合した一つのハプニングだといえます。

 

 

 

最後にまとめましょう。

 

サイエンスは徹底的な検証による分析

アートは直感による統合

そしてその直感から生まれたアートはサイエンスによって検証されます。

そしてまた新たなアートが生まれる。

 

だからどっちが正解でも優位でもなく、ふたつで一つのパターンだしシステムです。

 

今回の講座では見事にアートとサイエンスが融合したONEにあなたもなれるよう私がサポートいたします。

 

参加希望の方は

naraokahajime@gmail.com

もしくはインスタグラムやFacebookメッセンジャー

もしくは以下から参加希望をお伝えください。

場所などの詳細はフェイスブックページにて↓

www.facebook.com

 

 

気でみる陰陽五行説のオンラインセミナーもまだまだ募集中です!

life-healing.hatenablog.com

 

 

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腎にある精ってなに?

東洋医学中医学などを勉強したり本を読んだことがある方は、解剖学的な腎臓との役割の違いにあれ?って感じませんか?全然ニュアンス違うじゃん!って・・・今日はその辺を埋めていきます!

 

まず、現代的な解剖生理学での『腎臓』は血液の状態を適切に保つための機能に終始します。例えば水分が多すぎれば血液がサラサラになりすぎて、血圧の変動や心臓に負担がかかってしまうのを防ぎます。その余分な水分が尿となって排泄されます。他にも塩分濃度や弱アルカリ性を保つために様々な働きをしています。

 

続いて、陰陽五行での『腎』は【精】を宿しています。この時点で???ですが、この精というのはDNA的なものです。生きるために必要な要素を『腎』が担っているます。わかりやすいのが白髪が増えたり、虫歯が増えたり、歯が抜けたり、難聴になったりすると『腎』の【精】が弱っていると評価されます。つまり、細胞分裂が活発で細胞の再生機能は『腎』の【精】による力と考えられています。

 

共通している部分もあれば全然違うところもある。骨と密接とかその辺りは共通項ですね。では、違いを生む決定的な部分は何かというと『副腎』の存在です。この『副腎』こそ、まさに【精】のスイッチかなと感じます。

 

『副腎』は腎臓の上についた内分泌系の組織です。ストレスに晒された時、「闘争か、逃走か」を発動する組織です。細胞が活性化される、つまりバイブスぶち上げ系ホルモンです!

 

西洋医学では腎臓と副腎は似たような名前ですが別の機能として捉えられています。しかし、副腎は腎臓と血管を共有していますので腎臓を介して全身にホルモンを届けます。ここが大きな違いです。また、中医学東洋医学ではホルモンという概念がないため副腎は腎臓の一部と見慣れています。

 

結局、どこからどこで分けるのか?というのは人間の脳による概念です。また表現方法も身体の表面に出る反応なのか、内部の見えないところでの変化なのか?という視点も異なります。

 

でも、どちらの目線も理解し、どちらも認めて対象物(腎臓)を見ればこそわかることがあります。このような接点こそ非常に重要な要素です。

 

実は瞑想やマインドフルネス、マクロビオティックも西洋に出てから発展しましたよね?これって西洋と東洋が融合することで本質が見えてくるんだと思います。だからこそ、陰陽五行を理解するために解剖学を!解剖学を理解するために陰陽五行を!という広い視野が本質を浮き彫りにします。

 

このような点が線になる内容を来週のオンラインセミナーではよりわかりやすくお伝えしたいと思います。まだ全然募集していますのでお気軽のお声がけくださいね!

life-healing.hatenablog.com

 

 

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陰陽五行と十二経絡の解剖生理学を繋げるオンラインセミナー

わかっているようでわからない陰陽五行の世界。

すごく興味があるけどとっつきにくい魅惑の世界。

 

最近、整体をしていてやっぱり陰陽五行や経絡は人類が生み出した偉大な智慧だなと痛感しています。しかし、多くのセラピストが陰陽五行だけ、経絡だけ、解剖学だけ、精神だけ、と点で捉えてしまうから中々実生活や整体・治療の現場で活かしきれていない。この偉大な智慧の恩恵を受けないなんて勿体ない!

 

セルフケアはもちろん、身体の不調も緩和するし、なんなら相性なんかもわかっちゃう。まじでスゲー!

 

例えばよくあるのが・・・・

土用はいつからいつまで、で、こんなケアをしましょう!

 

という事を多くの方が仰っています。間違いではないのですが本質が見えていないから、単なる受け売りになってしまっているんですよね。

 

人間も本質は全て一緒なのは確かです。しかし、環境や思想によって異なる気を発するため、皆それぞれ個性があります。土用にしんどい人もいれば、土用に強い人もいる。それなのに、一律に土用はこの時期でこんなケアをしましょう!っていうのはまさに気が読めない人の所業といえます。

 

例え話のついでに、土用というのは季節の事を指す以上に、気の動きや状態を表現しているに過ぎません。それには土用の土を理解しなくては繋がらないのです。

 

気が読めるようになると、例えば、今日はシーズン的には土用だけど、ちょっと金の気が混ざっている。だからそんなに強い土用対策をする必要がないな、とかが理解できるようになります。

 

陰陽五行も万物を構成する五つの要素といわれていますが、ちょー受け売りです。本質は気がどうなっているのか?が大切です。ロジックって陰陽でいう陽の部分でしかなくて、陰の部分はやっぱり気を読み、本質をしる事が大切です。

 

『点から線へ陰陽五行オンラインセミナー』

12月14日(月曜):気で見る陰陽五行編

12月15日(火曜):気で見る十二経絡編

13:00〜15:30(時間は前後します)

全ての内容は解剖学に照らし合わせてお伝えしますので

解剖学の勉強にも多少なると思います。

参加費:8000円(事前振り込み)

参加資格:どなた様もご参加頂けます

開催ツール:zoom(参加方法などはメッセージで詳しくお伝えします)

参加希望の方はInstagramFacebook、などでメッセージでご連絡ください。

また、naraokahajime@gmail.com へメールをお願いします。

 

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ホームページちょっとリニューアルしました!

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死にこそ答えがある

『死』という存在は誰も主観的には理解が困難です。常に主語は二人称になります。でも、自分が死を迎えるという事をちゃんと想像しておいた方が人生のデザインは割とスムーズです。この『死』にこそ、自分がどうしたいか?隠されています。ちょっと紐解いてみましょう。

 

まず、問一、『死』が怖いですか?

なぜ怖いと思いますか?

それは【知らない】からだけです。

 

では、ちょっと視点を変えてみましょう。

あなたは今晩『眠る』ことが怖いですか?

 

怖くないですよね?

 

だって寝たら目覚める事を知っているから。でも、寝たまま目覚めないで亡くなる方って実は多いんですよ!寝てる時って内臓や脳は活発に動いています。ボタンの掛け違いで亡くなってしまうという事だってあります。

 

寝てる間は意識がありませんから、死んでる状態と同じですよね?

ここでちょっと見えてくるのが毎晩死の予行演習で寝てる僕らは『死』自体が怖くはないという事です。実は死ぬ直前の状況に人間は恐怖を感じているんですよね。

私は小学生の頃、眠るのが嫌いでした。だってなんか勿体ないって感覚というか、ちょっと損した気分というか、なんとも表せないちょっとした恐怖などもありました。それを子供ながらに紐解いたら『死』ぬことがすごく怖くなりました。ちょうど『死』ってなんだ?って考えている時に日航ジャンボ機墜落事故が発生しました。その時の強烈な映像と相まって、飛行機の中では絶対死にたくない!!って思ったんです。これこそまさに死ぬ直前に恐怖があるというわかりやすい事例だと思います。

 

となると理想的な死に際とはなにか?ってなりますよね?

これが実は問の2になります。

意外と考えたことなくないですか?

コロッと死にたいとかは答えにはなりません。

だって死に際を考えていませんから。

 

私の理想は畳の上で坐禅したまま死にたい!

まぁ、その後の納棺師さんとか、警察の方はちょっと大変だと思いますが、この死に方だときっとうちの奥さんならそう悲しくもなく、なんならデジカメかiPhoneで写真とって、嗚呼、ハジメっぽいね!って笑えそうな気がするんです。なんなら仲良くしてた方なんかもハジさんらしいね!ってなってくれると俺を全うしたなって、満足して往けます。

 

この理想をちょっと紐解くと、病院では死にたくない。薬漬けでも朦朧として死にたくない。ま、もしも病気だとしたら断食して餓死するくらいの方がいいかもしれません。その時にそのような確固たる意思が保てるかどうかはわかりません。あくまで理想なので!しかし80歳ちょい前まで生きてたなら断食を選ぶかと思います。

 

じゃ、どうすればいいのかって逆算すると自ずと今どう生きるべきか?が見えてきます。できるだけ具体化して行くと今何をすべきで、何をしちゃいけないのかもハッキリ見えてくる。病気になって病院に行って死ぬこともその人にとっての人生だし間違いじゃない。でも私はそれは本望ではないから避けたい。できれば一回もメスを入れずに死にたい。じゃどうしたらいいのか?どんな覚悟がいるのか?ほらほら、こうやって文章書いてるだけで色々具体化されてくるでしょ?

 

だから酒もタバコもやめる必要なんてないんですよ。酒呑みすぎて死んじゃった方が全うしてていい!でも僕はそれは本望じゃないからお酒はほとんど飲まないし、タバコも吸いません。健康志向とかじゃないんですよ。理想の死から遠ざかって死ぬ時後悔したくないだけですね。

 

死の中にこそ、どうやって生きるか?が隠されていますよ!

 

ちなみにどう考えたって『死』が怖くて怖くてしょうがない!

って方は一定数存在しますが大丈夫です。

選択理論による人間の五大欲求のひとつ生存欲求が強いんだと思います。

このタイプの方々は藁にすがっても生きながらえたい人たちです。

そういう方こそ整体をお試しくいただきたいですね。

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手術をするということ

整体に通われる方の傾向を大きく分けると以下の3パターンに分かれます。

1、身体に不調があり悪化させないため

2、単純にストレスを解消したいため

3、手術後の身体に不調を感じるようになったため

 

 

どのオファーに対しても自分ができる限り最善を尽くして期待値を超えた体験を提供したいと努力をしているものの、どうしてもお客様にもご協力いただきたい分野が一つだけあります。それは『手術後の身体に不調を感じるようになったため』のニーズです。

 

というのも、手術をなさった方や、これからなさる方が大きく認識違いをしている事があります。それは手術をするという行為は不可逆的であり、もう元には戻れないということです。より具体的に申し上げると、腹部に対してメスを入れた方全般かと思います。

 

わかりやすい例を出しましょう。

私の祖父はすでに他界しておりますが、糖尿病を患い、片足を切断致しました。足を切断する前の祖父はそれはもう活発で社交的な人でした。しかし足を失ってから車椅子生活になり、あまり人とは会わなくなりました。それだけではありません。トイレをするにも、顔を洗うにも今まで通りには全くできないのです。今までなんでも一人でできたことが車に乗るだけでも誰かの手を借りなくてはいけないし、独り立ちできるようになるには訓練が必要です。

 

この例はわかりやす『足がなくなる』という事例です。

 

でも、足がなくなること、と盲腸がなくなること、胆嚢がなくなること、卵巣がなくなること、は全く同じ事です!足がなくなるというのがわかりやすいケースなだけです!

 

それが悪いことではないのですが、手術後、何事もなかったように、以前と同じように過ごそうとすると大きな問題が生じます。その問題とは日々の苦しみとして現れます。手術をしたせいで、体調が悪い!という方はたくさんいるのですが、そうではなくて、手術をしたのに、以前と同じ価値観や生活感で生きている事で生じるダメージが苦痛の原因です。これは私の整体人生においてとても多い事例です。

 

そもそも人生なんてずーっと同じ価値観、関係性で過ごそうとする方が不自然です。そんなことを望むのは現代人くらいじゃなでしょうか?世の中は無常です。

 

手術をした方や、これからされる方がもしこのブログをお読みになったら、ぜひブレーキを踏む勇気と余計な荷物は背負わない潔さを持って新しい人生を楽しむくらい楽観的に生きてみましょう!仕事だけが人生ではありません。何もしないことをあえてするのもアリです!

 

そう考えると1とか2のケースは未病に分類されますね。しかも病院じゃやってくれませんからね。通われている方は良い心がけですね。

 

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私は疲れたらすぐ休みます。そして40過ぎて、もう心地よい事以外しなくなりました。なんとかなるもんですよ。

失敗は成功のもと

久々にブログを書きたいと思います。

 

最近、スモールビジネスをする方々が、自らのお仕事をたたむという状況が少しづつ増えてきました。今般の状況もありますが、ジワジワと私の周辺でも増えてきました。

 

話は少しそれますが、タイトルにあるような古人のコトワザは本当に的を得てるなと痛感するような体験が個人的に多々ありました。これらの〜諺〜コトワザと呼ばれるものは、先輩達の体験により言い伝えで、個人の成功体験に根ざしたものではなく、多くの人に共通する抽象化されたアドバイスです。

 

話を戻すと、『失敗は成功のもと』もしくは『成功の母』などと口伝えで私たちは知っています。

 

でも、残念ながら殆どの方、8割以上の方が実践しません。失敗を認めなかったり、失敗して心が折れて拗ねたり、して失敗を失敗のまま終わらせます。

 

一番いけないのは、失敗を失敗のまま終わらせる事。そして、言葉というのはとても無能だといわざるを得ないが、失敗は私たちの言語で知るところの失敗ではありません。失敗はどうあれ、あなた自身が決断した終焉を意味します。

 

あなたの決断が失敗だ、と嘆くのは時間の無駄です。私もここ数年、失敗続きです。いろんな意味でね。でも、続く失敗から得るものは、成功から得るものよりも大きい。この失敗というリソース(資源)は活かさなければただの後悔になります。

 

さて、私たち商売をするものは、なぜ自らの手で、自らの商売に幕を下ろしたのでしょうか?その理由はお金ですか?健康問題ですか?心の問題ですか?よーく観察してみて下さい。その失敗が大きければ大きいほど浮き彫りになります。

 

そしたらその足りなかったところを補えばいいし、補えたのなら、また商売は始めなきゃ、せっかくしたその商売を自ら終えたご英断が無駄になります。

 

でもね、これを克服せずまたビジネスを再開すると、これでもかってくらい同じ過ちを繰り返してしまいます。この人達は反省という分析がないのです。

 

まずは失敗を認め、分析し、反省し、足りないものを補い、あなたのご英断を心の底からお認めになり、また次のビジネスに向かえば、その失敗は楽しい思い出にすらなります。

 

そう考えると、一番苦しいのは、やめるという決断もできず、ただただ延命し、ダラダラ続けている事です。それは全て事柄においていえます。商売をやめるというご英断ができるだけまだ救いがあるのかも知れません。

 

だから、今の失敗や過去の失敗に囚われるのはやめなさい。そこで立ち止まる事こそ最大の人生の不幸です。

 

自分を信じて、失敗を活かしてみましょう!

 

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