死にこそ答えがある
『死』という存在は誰も主観的には理解が困難です。常に主語は二人称になります。でも、自分が死を迎えるという事をちゃんと想像しておいた方が人生のデザインは割とスムーズです。この『死』にこそ、自分がどうしたいか?隠されています。ちょっと紐解いてみましょう。
まず、問一、『死』が怖いですか?
なぜ怖いと思いますか?
それは【知らない】からだけです。
では、ちょっと視点を変えてみましょう。
あなたは今晩『眠る』ことが怖いですか?
怖くないですよね?
だって寝たら目覚める事を知っているから。でも、寝たまま目覚めないで亡くなる方って実は多いんですよ!寝てる時って内臓や脳は活発に動いています。ボタンの掛け違いで亡くなってしまうという事だってあります。
寝てる間は意識がありませんから、死んでる状態と同じですよね?
ここでちょっと見えてくるのが毎晩死の予行演習で寝てる僕らは『死』自体が怖くはないという事です。実は死ぬ直前の状況に人間は恐怖を感じているんですよね。
私は小学生の頃、眠るのが嫌いでした。だってなんか勿体ないって感覚というか、ちょっと損した気分というか、なんとも表せないちょっとした恐怖などもありました。それを子供ながらに紐解いたら『死』ぬことがすごく怖くなりました。ちょうど『死』ってなんだ?って考えている時に日航ジャンボ機墜落事故が発生しました。その時の強烈な映像と相まって、飛行機の中では絶対死にたくない!!って思ったんです。これこそまさに死ぬ直前に恐怖があるというわかりやすい事例だと思います。
となると理想的な死に際とはなにか?ってなりますよね?
これが実は問の2になります。
意外と考えたことなくないですか?
コロッと死にたいとかは答えにはなりません。
だって死に際を考えていませんから。
私の理想は畳の上で坐禅したまま死にたい!
まぁ、その後の納棺師さんとか、警察の方はちょっと大変だと思いますが、この死に方だときっとうちの奥さんならそう悲しくもなく、なんならデジカメかiPhoneで写真とって、嗚呼、ハジメっぽいね!って笑えそうな気がするんです。なんなら仲良くしてた方なんかもハジさんらしいね!ってなってくれると俺を全うしたなって、満足して往けます。
この理想をちょっと紐解くと、病院では死にたくない。薬漬けでも朦朧として死にたくない。ま、もしも病気だとしたら断食して餓死するくらいの方がいいかもしれません。その時にそのような確固たる意思が保てるかどうかはわかりません。あくまで理想なので!しかし80歳ちょい前まで生きてたなら断食を選ぶかと思います。
じゃ、どうすればいいのかって逆算すると自ずと今どう生きるべきか?が見えてきます。できるだけ具体化して行くと今何をすべきで、何をしちゃいけないのかもハッキリ見えてくる。病気になって病院に行って死ぬこともその人にとっての人生だし間違いじゃない。でも私はそれは本望ではないから避けたい。できれば一回もメスを入れずに死にたい。じゃどうしたらいいのか?どんな覚悟がいるのか?ほらほら、こうやって文章書いてるだけで色々具体化されてくるでしょ?
だから酒もタバコもやめる必要なんてないんですよ。酒呑みすぎて死んじゃった方が全うしてていい!でも僕はそれは本望じゃないからお酒はほとんど飲まないし、タバコも吸いません。健康志向とかじゃないんですよ。理想の死から遠ざかって死ぬ時後悔したくないだけですね。
死の中にこそ、どうやって生きるか?が隠されていますよ!
ちなみにどう考えたって『死』が怖くて怖くてしょうがない!
って方は一定数存在しますが大丈夫です。
選択理論による人間の五大欲求のひとつ生存欲求が強いんだと思います。
このタイプの方々は藁にすがっても生きながらえたい人たちです。
そういう方こそ整体をお試しくいただきたいですね。