奈良岡整体

告知と哲学を記します

自分を愛する事の大切さ

ヒーリングをしていると、【愛】という存在の重要性に何度もぶち当たります。自分を愛するという事はよく説かれています。でも、殆どの場合が、周りなんて関係ない!自分のやりたい事をやりたい時にする!へ誤解されているように私は個人的に感じています。本当にそれが自分を愛する事なんでしょうか?ちょっと違うように思うけど、皆さんはどう思いますか?

 

 

【愛と恋愛はどう違う?】

愛とは人間の根源にある普遍的なものと定義されていますが、果たしてどうでしょうか?愛と言って万人が同じ意味や定義でない以上普遍的とは言えないように思います。ただ、機能としては別で、普遍的に愛を養う素質はあると私は思います。そう考えると愛は愛に気付き、受けとるプロセスを経なければ手に入らない可能性もあります。愛は相手に求めたり、期待したりせず、相手を受けとめ、正しく理解する事に他なりません。

恋愛は愛ではありません。ホルモンと欲求の身体反応です。身体的欲求は食事と一緒です。優劣ではなく、恋愛は欲求ですから、相手を求めてしまいます。愛は精神や心の領域で、身体反応ではなく感じるもので、理解が必要です。

 

【愛を具体的に】

愛するはキリスト教でよく現れる用語です。仏教では慈悲などが該当しますが、やや意味が違います。私なりに愛というものを紐解くと、愛は全てを受け止める事だと思います。どんな間違いも、どんな弱さも、たとえ無知でも、受け入れる事から始まります。さらに、許す、まで受け入れます。この受け入れ、許すまで昇華した愛は最強です。どんな苦悩や自責も癒され消失してしまいます。このどんな事も許すという行為は大変なことかもしれません。現に他人を許せないが故、結婚できない方も、離婚する方も、罪を背負う方も沢山いらっしゃいます。愛とはそれだけ深いものなのです。自分の好き勝手する事は単なる欲求の消化ですから、愛とは程遠いという事です。

 

 

【自分を愛しませんか?】

自分を受け入れ、許す事で自分を愛する事が少しづつ叶います。自分を愛せない人が、自分以外の他者を、例え親でも愛せるはずがありません。自分を許せず、愛せない人が、他者を愛していると思うのは厳密には自己犠牲かエゴです。愛さなくてはいけない、とか、愛されたいから愛するなども、手垢まみれの欲求で、エゴなんです。自分を許さない限り、他者を許し、愛すことは絶対的な矛盾を生み、その矛盾は自分を苦しめ、最終的には痛みや病気になってしまいます。沢山の方に接して思うのが、意外と自分を愛せていないし、許すことに罪悪感がある場合もあります。

 

 

 

【ヒーリングでできる事】

そうは言っても、自分では糸口がつかめない場合、ヒーリングではなぜ自分を許せなくなったのか?そのきっかけはいつ?どの領域で始まり、いつ増幅したのかをリーディングし、その原因の出来事と、心身のパターン化された反応を解離させます。その結果、自分を少しづつ自分を許せるようになり、そこから自分を愛する事が可能になします。自分を愛する事が叶えば、お酒や暴食、欲求不満による消費行動が少しづつ不要と感じられるようになり、シンプルなライフスタイルを飽く事なく続けられ、日々の喜びに気づけるようになれるでしょう。

 

病気の方はとても時間がかかりますが、身体に負担はありませんので、オススメです。病気の根本は身体以上に、心や感情の暴走が目出します。また、意外とここが欠けてるのがセラピストが多いことも目立ちます。疲れた方に沢山接する為、そのエネルギーを吸収してしまっている為、自分を見失ってしまいがちです。これらの方には一定の効果が期待できると私は思っています。

 

 

ヒーラー奈良岡元

www.naraokahajime.com