奈良岡整体

告知と哲学を記します

言葉を得た人間

言葉はあまりにも当たり前で気がつけば自動的に使っている。そのせいか、僕らは言葉の本質をあまり考えたことがない。僕はもう10年近くこうやってブログを通してずっと言葉を駆使して自分の気持ちや考えをみなさんに伝えてきましたが、一体言葉は何をもたらすのか?改めて言葉について思うこと、感じることを書きたいと思います。

 

 『古びた木製のテーブル上に、真っ白な皿が真ん中に置かれ、その上には白桃が2つ乗っています。桃の甘い香りが部屋中に微かに広がってる。』

 

この言葉を聞いて情景が浮かばない人はいないでしょう。

 

しかし、もしも言葉がなかったら、テーブルと皿と桃が別々の存在かどうか不確かではないか。そんなバカな?見たらわかるでしょう?と思うかもしれません。しかし、言葉がないとはそういう事です。そう、概念がないのです。つまり、テーブルと皿と桃が接触している状態では、見ただけではひとつの存在だといえます。触れて動かさなければわかりません。もし、言葉がないと仮定して、作文すると・・・

 

『視覚と嗅覚に外部から刺激あり』

 

言葉を停止する事で思考や概念を抜き去られます。そこに残るのは存在を感じる感覚だけです。もしかしたら、感覚さえも概念かもしれません。 

 

人間に当てはめると、概念がなければ手も足も脳も人間も地球も区別もない。ここに在るのは外部からの刺激を感じる何か。それが何かわからない。でも何かを感じている。

 

確かなことは、私たちは外から何かを感じる受容体であることは間違いがない。人の最も根底にあるものは受容的感覚であるといえます。

 

外界からの刺激を受容した生命は反応を起こす。その反応とは、心拍数が上がったり、血糖値が上がったり、扁桃体が興奮したりと様々です。これらの反応を言葉にすると感情のように思います。

 

言葉がない世界では猫や犬や鳥と同じ世界を生きる事になり、そこにあるのはただ外界刺激の受容とそれに対しての反応でしかありません。言葉が生み出す思考や概念は人間が他の動物に比べ、ホモ・サピエンス(人間という種族)の特性ともいえます。

 

つまり、何でも感情的な反応を示したり、感情優先で生きている方は、反応の世界でしか生きていません。反応の世界というの単なる脳を主体にした機能です。思考停止し、知性があるとはいえません。私たち人間は多くの言葉にふれ、その言葉を理解し、抽象的概念をまとめ、サイエンスを築き発展しました。身体能力に乏しい人間は、知性なくして生存してこれなかったようにも感じます。

 

逆を言えば、言葉を理解し、表現力のある人間は人間の特性であるインテリジェンス(知性)が備わっている。それは人間としての武器を持っているといえますね。

 

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