存在すべてがフラクタル1
この世の真理は、幾重にも重なりフラクタルであると私は感じます。
細胞と細胞の間には細胞外液という液体存在します。つまり、細胞・細胞外液・細胞・細胞外液・・・という連続です。それらが交流することにより、肝臓になり、脳になり、組織を形成します。さらにその集合体が人間ともいえます。
細胞の中には、速やかに細胞が更新される領域があります。それは胃の粘膜の上皮や、小腸の内側の上皮は1〜3日で新陳代謝し、新たな細胞に生まれ変わります。細胞の死骸は大便となって体外に排出されます。
細胞と細胞は独立したように存在で、細胞外液の中にいる。そして一部が生まれ変わりながら、その組織を形成します。そう考えるとこの仕組みに似たような存在がいると僕は感じてしまいます。まずは魚の群れです。
魚・海水・魚の連続です。写真のようにひと塊りになって行動します。個々の魚が存在し、それらが集団になっていると私たちは概念的に考えいます。でも、もしかしたら、このひとかたまりの集団意識こそが一つの意識の単位である可能性も否定できません。
では人間はどうでしょう?
人間・空気・人間のひと塊です。また、人間・地面・人間とすれば地球とてひと塊とも考えられます。個々に別の行動をとっているように思うのが概念であり常識かもしれません。しかし僕にはそうは見えません。同じ時間に通勤し、同じ部屋で、同じ目的のもと行動する。まるでこの魚の群れのような行動を実際にはしています。
つまり、私たちも実は個人という単位と集団的な意識の一部でありと考えられます。自分固有の意思や意識だけで生きているわけではない可能性もあります。
そう考えると課題を一人で抱えていても、前に進むことはできません。深い対話をすることで、その集団が新たな方向性や打開策を見出し前進するかもしれません。その結果集団が個人を成長させることだって相乗的に起こりえます。対話って日本人は特に苦手なように感じます。でも、どの業界においてもイノベーションは避けられません。イノベーションは集団的コミュニケーションの中から生まれるのではないか?と考えます。