奈良岡整体

告知と哲学を記します

どうして伝わらないのか?

以前、言葉の深さの違いについて書きました。

それは同じ日本語を使っていても

どうしても伝わらないことが多々あり

一体これはなぜなのか?って疑問から

僕の冒険ははじまりました。

 

言葉には大きく分けて

二つの発生源があります。

 

まず一つは

反応的な言葉です。

 

これは対象に接した時に

反射的に湧き上がる言葉です。

つまり、感覚表現的な言葉です。

これは身体から発する反射なので

当然、深い意味などありません。

 

 

この言葉を駆使する会話に

疑問や矛盾を抱く必要はありません。

なぜなら何も意味、意図がないからです。

所謂、単なる言葉という音なのです。

 

 

もう一つの言葉は

意思があり、意識を宿しています。

日本では言霊に近いかと思います。

 

言霊は発した通りの結果を導きます。

所謂アファメーションです。

日本では古来からアファメーション的な

考えがあったんだから進んでますよね。

 

意思と意識を宿した言葉には

深さがあり、行動が伴っています。

 

反射的言語を話す人と

言霊を話す人とでは

同じ言葉の音を共有しても

それは全く意味が違います。

 

【学ぶ】という言葉を

例にあげてみます。

 

反応的言語の人に

学ぶ理由を聞いても

漠然としたものしかありません。

尚且つ受動的で断片的です。

 

言霊を使う人に

学ぶ理由を聞いてみると

能動的であるため

自発的に学び

目的が明確で継続的です。

 

この差は大きなものです。

昨今の言葉の不全傾向は

この二種類を切り分けることが

大切だと私は思います。

 

ご自身が発した言葉に

意志や意識が宿していない

反射的なものであれば

それに執着することをやめ

自らの裡の言霊がどこにあるのか

お気づきになるのが最良に思います。

 

ご自身が何を言っているのかを

この観点で観察してみると

驚くほど自分の言っていることは

的を得ていて、それに気づかないのは

自我だと思います。

 

 

※これらは日々の観察、瞑想、一者とのリーディングによる個人的な見解です。

 

 

 

ヒーラー 奈良岡元

www.naraokahajime.com